最初の頃は学生時代に打ち込んだ人体彫刻の延長で、人の存在や遺跡・遺物などをテーマに制作していた。2009年に山形に住み始めてからは東北の自然に魅了され、刻々と移り変わる印象を留めたい気持ちに駆られて、陶の素材感と自然の表情を重ね合わせる作品を試みている。清々しい空の広さと湧き上がる夏の雲。雪や氷による不思議な冬の世界。里山の棚田のように人の営みが大地に残す景色。自然の豊かさには敵わないと知りつつも、これら興味の対象を自分の手を通して作るならばどのような形があり得るのだろうか、という純粋な好奇心に突き動かされてしまう。

 

 陶の面白いところは、制作のプロセスが進むたびに、素材のあり方の変化とともに素材と自分との関係性も変化するところだ。作品を構想する時は、建築家のように構造を念入りに考える。粘土で作る時は、自分の方に作りたい形の発露がありつつも粘土が形を成すにつれて徐々に思考がその形に誘導され、さらには手と粘土の境目がなくなって一体化する感覚になる。乾燥させる時は、水分の状態を逐一観察し、作物を育てる農家のように作品の面倒を見る。ここまで密接に関わっていても、焼成する時には絶対的に手から離れる。窯の中の炎と空気をコントロールしていても、全ては把握できない。そして、窯の扉を開ける時は作品との新たな出会いの瞬間である。自分と一体化していた造形時とは真逆に、最後は自分と対等な関係を主張するかのように新鮮に目の前に現れてくる。これはそのまま私と作品との距離感となっていて、作品を観る人にとっても期待したい距離感でもある。自然という身近なモチーフであっても、他と隔てられた自立した作品であってほしい。

 

 ここ数年は、作品の中に再び人の姿を投影するようになった。時には自分自身の肖像であったりもする。人が自然に寄せる思いは決して美しいものばかりではない。人と自然の脅威の捉え難さを私なりの彫刻として表現したいと思っている。

 

吉賀 伸